1913年以来112年ぶりの新拝殿完成 静岡県藤枝市郡『田中神社』
ヤマタケ建設が、地域の皆様のご縁に支えられて、初めて神社の施工をさせていただきました。
2025年9月 「田中神社」の新拝殿が完成しました。
📍〒426-0245 静岡県藤枝市郡729-3
(建て替え前)

(建て替え後)

(建て替え前)

(建て替え後)

まずは改めて「田中神社」について。
田中神社の歴史は、社誌にまとめられています。まずはこちらをご覧ください。
(黒太字は原文、赤字はこちらで書き添えた解説です)
田中神社誌
御祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 徳川家康公
※解説:田中神社では、お稲荷様として知られる宇迦之御魂神と、江戸幕府を開いた徳川家康公をお祀りしています。
鎮座地 藤枝市郡宇山の鼻七二九(藤枝市郡宇山の鼻729)
境内地 四八五坪(約485坪(約1600㎡)) 氏子数 六一〇戸(地域の守り神として610軒の家々に信仰されています)
由 緒
今からおよそ四一〇年の昔 治乱攻防の戦国時代 甲斐の武田信玄は今川勢を攻め領土の安泰のため田中城を増築し守護神として山城の国から宇迦之御魂神を招請し祀ったと言われる
※解説:戦国大名 武田信玄は駿河の今川を攻めた際、田中城の守り神として山城国から宇迦之御魂神の神霊を迎え、祀ったと伝えられています。
宇迦之御魂神は一般に「お稲荷様」として親しまれる神様です。
なお、この話は地域の伝承で、史実とは異なる可能性もあります。
この神は通称お稲荷様として五穀豊穣 商売繁盛 家運隆盛の神として武家はもちろん一般の信仰も極めて厚く徳川時代になっても代々の城主も尊崇の念に厚く毎年二月の例祭には城中に領民を入れ神酒を賜ったと言う
※解説:お稲荷様は農業や商売、家の繁栄を守る神とされ、武士階級だけでなく庶民からも信仰されました。
江戸時代でも田中城主は厚く信仰し、祭礼の日には領民を招いて神酒をふるまう風習があったと伝わります。
明治初年の大改革により江戸から転住してきた旧幕臣は宗家東照公を祭神として権現社に祀り後に稲荷舎に合祀して田中神社と称した 神祠も城内から田中二番町(現大手二丁目)に移り 更に大正二年現在地に遷座 現在は旧西益津村の中心にあり土地も小高く樹木うっそうとして神社の尊厳を維持する適地であった
※解説:明治維新後、江戸から藤枝に移り住んだ旧幕臣たちは、自らの主君である徳川家康公(東照大権現)を祀りました。
当初は別社殿を建てましたが、後にお稲荷様と一緒の社殿に祭神をまとめて祀り、神社名を「田中神社」と改めました。
場所も城内から町の中心(大手二丁目)を経て、大正2年(1913年)に現在地へ移されています。
現在の社地は小高く木々が生い茂る環境で、神社としての厳かな雰囲気を保っています。
東照公は田中城との因縁極めて深く戦国動乱の時代を終息 今日の平和国家建設の基礎を築いた功績は極めて大きい
※解説:徳川家康公は田中城での戦歴もあり、深い縁を持ちます。
戦国の争乱を終わらせ、江戸幕府を開いて日本に平和の礎を築いた功績が顕著であるため、地域の人々によって厚く神格化され、田中神社で今も共に祀られています。
※ちなみに、田中城は今川氏が永禄年間(1558~1570年)頃に築いたと伝えられ、その後徳川家康公が武田氏との戦いの拠点とした城です。
江戸時代には田中藩の政庁となり、家康も逗留したことで知られます。
現在は公園として整備され、一部に往時の遺構が残っています。
(本殿)

1913年以来112年ぶりの新拝殿の完成を祝い、2025年9月21日に拝殿改築竣工奉告祭が開かれました。(2025年9月30日の静岡新聞にも掲載されています)
式後は、餅まきで地元住民の皆様が大盛り上がり😊




拝殿改築竣工奉告祭出席者。藤枝市長 北村正平様も参加されました。
ヤマタケ建設の社長も参加させていただきました。

神社総代会の皆様。

田中神社の新拝殿ができるまでを、ヤマタケ建設のブログでお知らせしてきました。
▼ブログ記事一覧です
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このたび、歴史ある田中神社様の建て替え工事に携わらせていただき、 日本の伝統と歩みを感じながら仕事ができたことを大変光栄に思っております。
長く地域に親しまれてきた大切な場所に関われたことは、弊社にとって何よりの喜びです。
このたびは誠にありがとうございました。